2014年12月26日金曜日

田中純さんの牛腸茂雄『見慣れた街の中で』へのエッセイが面白かった。
日常の周縁に揺曳するもの----写真集『見慣れた街の中で』をめぐって

前の投稿で書いた、女の子の写真。

2014年12月22日月曜日

しもやけ

足の指、特に小指が赤く腫れて痛痒くなる。どうやらしもやけのよう。軟膏を買いに行くも、高くてやめる。ビタミンEが良いようなので、小林製薬のサプリメントと落花生を購入。大学の先輩が「信頼の小林製薬」みたいなことを言っているのを小耳に挟んでから、小林製薬を信じている。落花生すごくおいしい。

無駄遣いしたい気分もあり、朱色の漆箱(ぼろぼろ)に入った大量の古写真を買った。女の子を写した写真ですごくきれいな写真が入っていた。昔の印画紙の品質は今よりも良かったのかな。表面がしっとりして滑らか。小さいサイズも良いな。

2014年12月12日金曜日

筆触

10月20日、以前住んでいた厚木へ写真を撮りに行った。自分が撮った写真の中で一番重要な写真を撮った場所へもう一度行って、見るため。しかし、いつも気の向くまま適当に歩いて写真を撮っていたので、「橋を渡ったあと」としか覚えておらず、ついぞその場所へはたどり着かなかった。地図を見ながらいくつか橋を渡ってみたんだけど。もう諦め、歩き疲れていたところに、鴨が数羽泳いでいるのを見かけたので、救われた気分になった。

川沿いで撮った写真。誰かが花を育てているようで、白いプランターが列になって置かれていた。生え放題の猫じゃらしの中、ピンク色の花が見え隠れして面白い景色だった。撮った写真を見てみると、草花が絵の筆触のようで、後から特別さが生まれてくる。

2014年12月10日水曜日

四十八茶、百鼠

図書館の帰り道、灰色の鳥の羽根が落ちていたので顔を近づけてみると、文字が書いてある。汚れたストラップだった。

映画監督の曽根中生の自伝を読んでいると、「非人」とされていた人の着用する着物について書いていて、水色やグレーの着物を着用していたそう。白い着物は着ることが出来ない。

渋染(柿色)は,中世からの偏見で血の色を表しているとして恐れられ,平人とは違った修験者(山伏)・悪党(無法者),検非違使(警察)たちが着たり,また犬神人のような下級神人や従者とか,あるいは乞食・「癩者」(ハンセン病)の着衣の色でした。

また,藍染・浅葱色・薄灰色などは青衣とよばれ,あの世の亡者・死人とか,乞食・「癩者」とか,従者・召使などの色とされてきました。そして,渋染(柿色)・藍染は「ひ人」の着衣や芝居小屋の幕,遊女屋の暖簾,あるいは牢獄に入れられたときの罪人の獄衣の色とされました。

「渋染一揆」再考(7):染色
http://existenz.seesaa.net/article/310455529.html


この記事が面白かった。浅葱、水浅葱という色に興味がわく。無数のグレーを百鼠と呼ぶのも面白い。

染色に使おうと、公園で大量にどんぐりを拾った。あとこちらで藍の種をわけていただこうと思い、封筒を用意した。

2014年12月4日木曜日

10 10 5

一度地獄に落ちて 戻って来た写真を 裏返し

2014年11月28日金曜日

ジェラシー

机を2つ作る。木材のカットなど、下手ながらも始めは丁寧にやっていたんだけど、最後の釘打ちで適当になってしまう。当たり前といえばそうなんだけど、部屋の匂いが変わった。でも、想像してなかったな。良い香りではない。

フィリップ・ガレルの「ジェラシー」、すごく面白かった。旧作を除いて、今年映画館で見た作品のなかで一番かもな。「あなたは他人よりも、演じる人物のほうがよく理解できるのではないか?」「…そうかもしれない」、という台詞について、しばらく考えてしまった。 http://www.jalousie2014.com/

2014年11月25日火曜日

図版


宮崎信恵 個展
「また明日」
http://ashitakoya.tumblr.com/
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Eva Hesseのスタジオ


高松次郎 紐の作品


ロバート・スミッソン スパイラル・ジェティ
(作品まとめ http://matome.naver.jp/odai/2135339143456721501


大島弓子 F式蘭丸(裏表紙)
「絵を あの中に自由と 光と緑を つめてやったよ」(「全て緑になる日まで」より)


宮崎信恵
「落ち葉の上に軟着陸する」



ゲルハルト・リヒター Reader
https://www.gerhard-richter.com/en/art/paintings/photo-paintings/women-27?p=2&sp=32


Caspar David Friedrich Wanderer above the Sea of Fog
「霧の海を見おろす散歩者」

宮崎信恵 EVER GREEN


奈良美智
https://twitter.com/michinara3/status/534793290818654208


落ちる前に捩れる花
https://twitter.com/oqoom/status/510438348876677120


“ゴダール『アルファヴィル』。つぎの映画中の台詞は、ポール・エリュアールの詩集『苦悩の首都』からの引用。 「すべてはなりゆき/何気なく言われた言葉/何気なく表れた感情/人はめぐらす/まなざしを/ことばを/あなたを愛することも」 ”

2014年11月19日水曜日

また明日

10月18日、のぶえちゃんの展示を見に名古屋へ。
道中読んでいた本に、ロバート・スミッソンの文章(キュレーターのハラルド・ゼーマンを批判したもの)が載っていて、小屋で展示をしているのぶえちゃんにも親近感のわくものかもと思い、コピーしようと思うも忘れてしまう。芸大通駅を降りたところでコンビニは見当たらず、仕方なくそのまま小屋に向かう。チラシの地図どおりに行けばどうやったって間違えなさそうなものの、迷ってしまう。この道じゃないかも…とあせりながらも、写真を撮りながらならいいか、と開き直り、長い道を歩く。向こうの方に白と黒の毛並みの猫がいて、この猫についていったから迷った、という物語を捏造する。おそらく通行不可のところを通ったりしながら、地図とは反対の道から小屋へ到着。看板を見た時はホッとした。
作品はとても良く、態度とか試行錯誤が結実しているように感じた。陶芸の作品は仕上がりがコントロールできないぶん、制作中やもっと言えば普段の生活のそういった部分が濃く出ている気がする。以下は連想したことを書いていきます。引用多め。
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小屋の中で見つけたというヘビの抜け殻を、落ちていた場所からそのまま持ち上げたところの壁に下げていて、一つ作品を挟んだ隣にはぐるぐるに巻いた紐を下げていた。少しEva Hesseや高松次郎を思い出すも、後からロバート・スミッソンのスパイラル・ジェティにつながるように感じる。スパイラル・ジェティは、ユタ州のソルトレイクに建造した反時計回り・螺旋状の作品で、それは反転させたバベルの塔である、と以前読んだことがある。スミッソンが浮かんでは消えるバベルの塔を水の中に向けて建てたように、のぶえちゃんは眠りや草木、風を描いているのかもしれない。(富士栄厚「ロバート・スミッソンの《スパイラルジェティ》をめぐる問題:バベルの塔の倒置」

・螺旋のメタモルフォーゼ、円を不完全にすること
・「植物の成長時における上昇と螺旋の力の拮抗関係」(ゲーテ)
・ゲーテにとってメタモルフォーゼとは、「人を形のないところへ連れて行き、知識を打ち砕き、それを消し去ってしまう」遠心力と、それに拮抗してあくまでも同一性に固執しようという求心力との相互作用の結果である

論文中のスミッソンにも影響を与えたゲーテの引用が面白く、ここで大島弓子を思い出す。大島弓子の漫画を読んでいると、草木、花、風、木漏れ日、眠り…などと共にふわふわしたやわらかな円(不完全な円?)が描かれる。それらの天と地の間に吹く、あるいは天へ向かう、またあるいは天から差し伸べられる力(遠心力)と、線や言葉を用いて表象再現するという欲求(求心力)との拮抗。葛藤し、バラバラになってしまいそうだけれど、大島弓子は本気度高く挑んでいたと思う。「芸術は目に見えるものを表象再現することではなく、見えるようにするものである」(パウル・クレー「想像についての信条告白」)。見えるものを、見えるようにすること。世界の輝き(Schine)、「神の光に満たされている自然」…立ち会うその度ごとに多様に豊かさを感じさせる自然にアクセスする道を示すこと。(大島弓子の漫画には性の反転や、人格が分裂する話が多い。加えて、星を眺めることの頻出、その切り返しとしての宇宙、天からの(全てを等しいものとする)視点、「全て緑になる日まで」。大島弓子の漫画とヴォルフガング・ティルマンスの写真はとても親しいものだと感じている。「View From Avobe」)

のぶえちゃんの作品にも同じことが言えて、特に今回の展示の陶芸の作品と絵本には色濃く出ているように思う。眠っている人の陶芸の作品は胸あたりから下が無く、山のように見える。または水に浸かっているようでもあり、それはしばしば描かれるおばけや宙に浮く人と近しいかもしれない。多様な曲線(髪から肩、腕などのかたちをつくる線。髪の毛や閉じられた目の線。釉薬の濃淡、光りかたの差異。何よりもそれらの土台である指の跡、くぼみ)が織りなされ、見るごとにまだ見続けられる。いつまでたっても捉えられない、定まることがない、というほうが正確かもしれない。木漏れ日のもとでは常に新鮮に豊かさを感じるけれど、それに比べられる経験だと思う。そのまま「眠り」に通じて行ってしまう。揺れながら、遠心力に乗って形のないところへ。落ち葉の上に軟着陸する。

次にハル・フォスター「第一ポップ時代」、ゲルハルト・リヒターに関する文章を参照。

・「現実と私自身の関係(…)は、不精確性、不確実性、一時性、不完全性といったもの(…)に多くかかわっています」(リヒター)
・「なにかを示すこと、そして同時に、まだ示さないこと〔…〕おそらくべつの、第三のものを示すために」(リヒター)
・ミシェル・フーコーは、「肯定」と「類似」が表象において特権的な述語であるとする。イメージが指示対象に類似することをつうじて、その対象が現実に存在しているということが肯定されるわけである。カンディンスキーはその抽象のなかで現実の肯定を現実の類似から解き放ち、類似はおおむね放棄される。にもかかわらず現実はいまや類似の彼方、もうひとつ別の(精神的ないしプラトン的とみなされる)領域に位置づけられ、依然として肯定される(…)。マグリッドはそのシミュレーションのなかで、もっとラディカルな換位を行なう。すなわち類似を肯定から解き放つのである。類似は維持されるが現実のほうはいっさい肯定されず、指示対象、つまりその実在性は雲散霧消する。フーコーは書く。「マグリッドは古い表象空間が君臨するにまかせるが、それも表面だけのこと、(…)その下には何もありはしない」。(…)抽象が、類似を消去するなかで表象を保存するのに対し、(マグリッドの)シュミラークルは表象の土台を取り去り、言ってみればその下から現実を引きずり出すのである。フーコーはその試論をしめくくるにあたってウォーホールのスープ缶を引きあいに出す。ウォーホールマグリッドのさらにうわてを行っているのだという含みである。リヒターも同じ結論に至ったようだ。彼はカンディンスキー、マグリッド、ウォーホールの三者に、同時に修正を加える。というのも、カンディンスキーとちがってリヒターの抽象は超越的現実を肯定したりはしないし、彼の表象はマグリッドやウォーホールとちがって単なるシュミラークルではない――現実の様相(ルビ:あらわれ)を、反省的思考を加えつつおさらいしてみせるのである

絵本については、うろ覚えと読後感で話を歪曲している可能性があるけど、「今日は何をしよう」と始まり、その足で出かけ、さまざまなことをする/想像する話だったと思う。その過ごし方は並列に扱われていて、最後には家のベッドに戻ってくる。すこし遠くへ出かけていった一日でもあり、何もしない一日でもあるような、不思議で、普通の一日。心地良いような、疲れているような、眠いような。絵本について、「もっと抽象的なものにしようと思っていたけど、こうなった」と言っていた。アルコール転写(多分)を使って色とテキストを霞むようにのせた箇所に少し抽象の趣きがあるけれど、その霞んだ色面と文字はむしろリヒターのフォトペインティングに近く、同等の効果を生んでいるように感じる。「輪郭をぼかすのは、すべてを均等にするため、すべてを等しく重要で、あるいは等しく重要でなくすためである。(…)すべての部分が互いに浸透しあうためにぼかす。また、多すぎる無用な情報を拭い消すためともいえる」とリヒターは自身の絵について話す。絵本のページのそれぞれも等しいものとなり、浸透しあい、テキストもまた絵となり…陶芸の作品と同じく「自然」に通じていくようである。「現実の様相(あらわれ)をおさらいしてみせる」ような態度を、すんなりと自然にのぶえちゃんはとっていると思う。

けいちゃんが作ったというラッパの作品は、しぼんだ花弁のようにも見える。その隣の眠りの中、螺旋を描いて。

2014年10月10日金曜日

財布


財布を新調したいけど、欲しくなるものが見つからない。シンプルな革のケースでもいいかな、と考えている。

2014年10月1日水曜日

















明日から久々の歯医者通いが始まるので、今から憂鬱。タイ産のリステリンが気になっている。
歯列矯正をしていた時の記憶のせいか、歯がぎゅうっと締め付けられて、次々に、メリメリと抜けていってしまう夢をよく見る。あの悪夢から解放されたい。

2014年8月8日金曜日

自分の位置



日曜日、北九州市立美術館へ。
中西夏之さんとマックス・エルンストが良かった。エルンストは『博物誌』からの2枚で、フロッタージュ(石や木に紙をあて、鉛筆で模様を写しとる技法)を元にしたドローイングをコロタイプで複製したもの。木の形と女の人の形が同じようで、感動した。

多摩美の教授の講演会を聞いた後、なぜか気分が沈み、残りはざっと流して観た。それまでに観たものもどうでもいいような気分になった。

帰りのバスで、前に座っていたおばさんが携帯を開くのを覗くと、画面には犬の写真(おそらく自分が飼っている犬)が写っていた。かわいいな、と思っていると、おばさんは特に操作するわけでもなく、しばらく眺めてから携帯を閉じた。おばさんもただかわいいな、と思っていたのかもしれない。セーブポイントというか回復のポイントのようなものかもしれない、と思った。(今考えると時計を見ていただけかもな)

2014年7月11日金曜日



タオルケットを持っていないので、布団カバーを掛けて寝ている。

2014年7月10日木曜日

印象派



一橋フォーラム21 印象派の変貌 ― 新しい位置づけ
http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/58/58top.html
印象派のことをほとんど何も知らないので、読んでみてすごく面白かった。あまり読み進んでないけど、印象派 - 抽象 - ポップ、と『第一ポップ時代』にも繋がっている。

石橋美術館で今やっている展示にセザンヌやクールベの絵も出ているので、見に行こう。林倭衛の『サント・ヴィクトワール』という絵も気になる。 http://www.ishibashi-museum.gr.jp/exhibitions/d/27


2014年7月3日木曜日

夜の間



額を作ろうと思い、ガラス板を2枚注文したところ、ばらばらに割れて届いた。郵便局に電話し、来て見てもらい、送料と代金を補償してもらえることに。割れてしまったのは残念だけど、ひとまず良かった。
割れてはいるものの、A4くらいの大きさがとれるものがあり、これは額用に使えそう。残りの破片はどうしよう。デュシャンに倣って、パレットとして使うとか。(デュシャンのパレットは厚めのガラス)

ツバメのヒナは3羽いた。夜の間点灯する、巣の近くの電球を外した。

2014年7月1日火曜日

If you let me awake



ツバメの巣の下に敷いている糞を受ける紙を替えに行くと、卵が落ちて割れていた。落ちてしまったのか。効率よく産み、育てるためなのか、親が卵やヒナを落とすこともあるみたい。割れた卵と、飛び出した黄身を見て軽くショックを受け、がっかりしていると、巣から小さな鳴き声が聞こえてきた。ヒナが一羽(おそらく)孵っていた。親ツバメがせっせと食べ物を運んでいる。元気に巣立ってほしいと願うばかり。

イタチが走っているのを見た。かなり素早い。

2014年6月25日水曜日

二年前の夏の声


小さく異音を立てて動かなくなっていたビデオデッキが、しばらくコンセントを抜いていたら直っていた。

昨晩読み終わったチェスタトンの本、面白かった。バベルの図書館のシリーズはほとんど面白いな。図書館に返却し、替わりにハル・フォスターの『第一ポップ時代』を借りてきた。

DKXOのスチャダラパー『サマージャム'95』に倣う、夏バテ回避方法が為になった。 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=6176403&id=75471717 (コメント [358])

2014年6月24日火曜日



ツバメが騒がしい時には、近くに猫がいる。

パソコン(OSはlubuntu)で麻雀をやり始めたんだけど、つい長い時間やってしまう。下手で、いつも三位か四位。麻雀の語源は、麻の敷物の上で行うことと、竹製の牌を混ぜる音がスズメの鳴き声に似ていることから、だそう。

種から植えた野菜やハーブはほとんど上手くいかなかった。難しい。苗から育てたものと雑草は元気。

2014年6月9日月曜日

いなくなったムクドリ(多分)の声が聞こえたような気がして、隣のアパートの3階まで登る。先日掃除した廊下が糞で汚れている様子を思い浮かべるも、きれいなままで、ムクドリはいなかった。まだ片付けていない木の実の種が散らばって落ちている。

2014年6月6日金曜日

Goodbye May Kasahara

隣のアパートの出張中の人の部屋、トイレに通じている換気口に巣を作っていたムクドリ(多分)がいなくなってしまった。無事に巣立ったのか、しばしば見に来る奴が気に入らなくて出て行ってしまったのか。ツバメのほうはしっかりとした巣が出来上がり、ちょこんとそこに乗っている姿がかわいらしい。

今年も梅ジュース(梅と氷砂糖をびんに詰めるだけ)を仕込んだ。去年は梅酒も作ったけど、誰も飲まないのでこれが一番。何てことないけど、少しずつ水分が出てくるのは楽しい。

2014年5月16日金曜日

酢酸

写真現像の定着液に使う酢酸が、苔や雑草を枯らすのに使えて便利で、加えて掃除にも使える、ということを知り、富士酢酸(50%)1Lを購入。水で10倍に薄めて、お墓掃除に持って行った。水を入れるところのヌメリを取るのが楽になり、見た目にはあまりわからないけど墓石もきれいになっているはず。苔と雑草が枯れるかは経過を見る。(枯らすには塩と食器用洗剤を混ぜるとなお良い、とのこと)

ヨドバシ.comで800円くらい

2014年5月13日火曜日

つがい

ツバメが巣を作ろうとしているのか、家の隣のアパートに出たり入ったりしている。けっこう近くを飛んでくれるので、よく見える。2羽で弧を描きながら飛ぶ様は、とてもかっこいい。

山形から届いた笹巻き、すごくおいしかった。

青竹踏みが欲しい。どこに売っているのか、高いものなのか、と考えていたんだけど、庭に生えている竹で作れる気もする。

2014年5月6日火曜日

一つ召しませ恋の桜餅

今日、スズメがガラスにぶつかるのを内側から見て、驚いた。

庭になっているさくらんぼを食べに来た鳥の羽根が、その木の下に落ちていて拾う。大きめの濃いグレー、濃いグレーに先が薄いグレー、小さな白い産毛のような羽根。また落ちていないかな、と見に行くも無し。さくらんぼも、もうほとんど無い。

2014年4月28日月曜日

プレゼント

今日、無性に喉が渇く。昨日観た「喜劇 特出しヒモ天国」の芹明香のせいかもしれない。芹明香を「軟体動物」のよう、と呼んだのは蓮実重彦だったか。映画開演早々、酔っ払って舞台の上をフラフラ、クネクネしながら気を失ってしまい、おしっこを漏らし、舞台と客席の狭間に滑り落ちてしまった。それを上から撮ったカットが忘れられない。ラストの強い目つき・視線は、護送車の金網をすり抜け、スクリーンをすり抜け、観ている者の持つ境界を揺らすようだった。

北九州市民映画祭、森崎東特集は最高で、「ニワトリはハダシだ」も素晴らしかった。強迫観念のように「水」が映画の中に表れてくるけど、それはやはり終戦の翌日に海辺で割腹自殺を遂げた兄の影響なのだろうか。(ちなみに、同じように磯崎新も「水」にこだわる。先祖が、洪水により一日にして沈んでしまった島の出身らしい)

...

昨夜、夢の中。プールの中の大きな岩(2m長、二つ)を布で覆い紐で巻き付けるのに、どういうやり方が良いか思案している。一旦その場を離れ戻ってみると、以前の恋人がそれをやってくれていて、紐をちょうど結び終えるところだった。自分の考えていた巻き方とは違っていたけど、紐を斜めに渡らせ、上手く結べている。一見クッションのように見えるが、飛び込んでぶつかると岩なので注意、と思う。

2014年4月21日月曜日

夢のほうが主になりがち、というより、夢の中のほうがたくさん「他人」と付き合っていて、ある充実がある。

最近、フィルムの一眼レフカメラを買った。今のところ「重い」以外の感想はない。

4月25日の13時からNHK BSプレミアムで、ロベール・ブレッソンの「ラルジャン」が放映される。「風立ちぬ」を観て思い出した映画で、小川を渡ったあたりから特に注意して観ようと思う。赤い血の広がりを観ること。

2014年4月19日土曜日

また…

また「間違えるために目が覚める」。
と、今朝目が覚めた時に浮かぶも(かっこの位置も含む)、二度寝したので違っているかもしれない。見た夢から取り出したものだろうけど、昨夜見た磯崎新「都市ソラリス」展のシンポジウムの映像から繋がっていると思う。(ICC HIVE シンポジウム「都市ソラリスへ」、Youtube 「もうひとつの都市ソラリス」展のトーク[2][3])夢の中のほうが主になりがちだな。

最近読んだART iTのヒト・スタヤルのインタヴューでも同様の関わりを持つ話をしていて、スクリーンから現実へ移動すると鼻を骨折してしまう、というところは興味深く、北野武の事故や映画のことを思い浮かべたりした。

あとは、よく聴いているMonjuの「Innervision」。

2014年4月17日木曜日

面取

美術館に企画展を見に行くと、そのチケットで常設展も見ることができ、そちらのほうが興味深かったりする。最近は、わからないながらも古美術品も見るようになった。

野の花は野の花 青花草花文面取瓶 東洋古美術名品紹介
http://www.n11books.com/archives/38166234.html

この記事に批判的に書かれていることは気になるところで、柳宗悦の「民藝」やそこに群がる人たち(つまらない人も多いと思う)、政治性、国威発揚へ繋がってしまうことにも注意したい。

Twitterで見かけて気になった、桑原甲子雄撮影の濱谷浩の写真。



2014年4月12日土曜日

雑草を育てる

図書館で本を借りる時、ほとんどいつもリクエストして他館から取り寄せてもらうんだけど、大体読み終わらないまま返している。今回もそうで、仕方ないので気になる部分だけピックアップしてコピーした。ジャン・プルーヴェの家と家具に、いいな、と思うものがいくつか。

ハーブの種を植え、芽も出て順調に育っているんだけど、その中に雑草だか、古い土に混ざっていた種が発芽したものだかが混ざっているっぽい。判別不能なので一緒に育てます。




この本もちょっと見てみたい。
http://andthings.exblog.jp/19456063/




2014年3月7日金曜日